院長ブログ
2013年4月10日 水曜日
西洋歯科医学と横浜
江戸時代終わりの横浜は、西洋文明の入り口でした。
西洋人は居留地に住み、居留地の入り口には関所がありました。
関所の内側が居留地ですが、「関の内」ということで「関内」とも呼ばれていました。この地名はJRの駅名として残っています。
この関内に住む西洋人相手の歯科医院もあったようです。歯科医師は西洋人ですが、日本人も手伝いとして雇われていました。その手伝いの人たちが、日本の歯科医師として独立していきます。
つまり、横浜から西洋歯科医学が全国に広まっていったのです。(続く)
西洋人は居留地に住み、居留地の入り口には関所がありました。
関所の内側が居留地ですが、「関の内」ということで「関内」とも呼ばれていました。この地名はJRの駅名として残っています。
この関内に住む西洋人相手の歯科医院もあったようです。歯科医師は西洋人ですが、日本人も手伝いとして雇われていました。その手伝いの人たちが、日本の歯科医師として独立していきます。
つまり、横浜から西洋歯科医学が全国に広まっていったのです。(続く)
投稿者 増井歯科医院